ICTおばあちゃんの四方山話-第4話

ベトナムでのリクルーティング

12月16日(土)は午前中、中高での講義があり巣鴨の方に参りました。地下鉄から出ると黄色の銀杏がきれいで、たくさんの落ち葉を制服姿の清掃員の方々が掃除していました。途中の大学では入学試験が行われていました。最高気温は20度で、秋と冬が入り交ざった複雑な季節でした。
古巣の東芝は2023年12月20日をもって非上場となりました。上場か非上場かを問わず、企業経営に欠かせないのが優秀な人財です。最近ではリクルーティングもネットを使うことが多いですが、筆者が関わってきたリクルーティングは主として対面形式です。入社翌年(1980年)から退職するまでの34年間、出身大学のリクルータとして、出身学科への訪問や就職希望学生の見学対応、就職担当教授への挨拶、大学での企業説明会などいろいろ対応してきました。このような国内でのリクルーティングの他に、退職する直前の2年半は、本社の産学連携担当として、ベトナム、インド、ブラジルを訪問し、リクルーティング活動を行いました。今月はまずベトナムでのリクルーティングを紹介します。

-なぜ海外でリクルーティングするのか?

答えはいくつかあります。

  1. まずは、海外市場拡大に伴う人財確保です。筆者が知っている範囲では、まず日本文化に親和性のある留学生を中心としたリクルーティングから始まりました。彼ら彼女らは、日本語での会話もできるので、日本の商習慣になじみ、現地との貴重なパイプ役を期待していました。北京にある中国研究所の立ち上げは、東大出身の留学生が行い、彼は最初の中国研究所の所長でした。
  2. 次が、多様性を確保し、イノベーション力を高めるための人財確保です。東芝では、20年以上前に多様性確保のために、まず女性管理職を育成するきらめき推進室が設立されましたが、数年後には多様性推進室に改組され、女性、障がい者、外国人の雇用を促進しました。
  3. さらに、日本で人財確保が難しい分野、特にIT関連の人財確保です。ベトナムやインドではIT人財確保が主眼でありました。

-前任の仕事を受け継ぐ

2009年ぐらいから海外での産学連携担当をやりたいと言い続けて、2012年4月から本社の技術企画室と産学連携を兼務できるようになりました。前任の産学連携担当がベトナム国家大学ハノイ校とホーチミン校での東芝奨学金のプログラムを設立済みでした。奨学金は1年間で2回に分けて授与します。1回目は1年間何を研究するのか、2回目は計画がどこまで進展したかを、奨学生が発表します。半日かけて発表を聞いて、奨学金を授与します。
写真1は2012年の授与式の時の集合写真です。
前任者がベトナムを選んだ理由は以下と推測しています。

  1. 日本語学習に熱心など日本との親和性がある
  2. 平均年齢が若い
  3. 海外BPO(Business Process Outsourcing)としてソフトウェア開発会社を設立する
  4. 原子力発電所売り込みなどビジネスでの人脈が必要
写真1 ベトナム国家大学ハノイ校での奨学金授与時の記念写真(2012年9月)
筆者は前列中央左、左手前黄色が東芝、他はベトナム大学の教授と奨学生

その奨学生発表に対応し、奨学生をフォローアップして人脈形成に貢献するというのが、筆者のミッションです。

-奨学生の発表への質問に苦労

写真1には20人余の奨学生が映っています。彼らの専門は理系に限らず、ラテン文学、ベトナム河川の治水、哲学などなんでもありです。大学の学部長や、東芝の執行役などえらい人は授与式が終わり、記念写真を撮ると、消えます。産学連携担当の私と、もう1名同行した技術企画室の若手、そして現地法人支社長、大学の教授が残り、発表会は始まります。発表会の司会者はベトナム大学の職員です、彼女は米国で教育を受けたということで、とてもきれいな英語を話します。一方で、最初の年の奨学生の英語は、なかなか聞き取るのが難しかったです。「トッシー」と奨学生皆が言うのですが、その意味が分かりません。現地法人支社長に尋ねると、「ベトナム英語は、語尾が消えるのです。トッシーはTOSHIBAのことです」とのことでした。とは言っても、分野も様々で、しかも、ホーチミンとハノイの両校で行うので結構ハードでした。
都合4回発表会に参加しましたが、奨学生の英語はみるみる上達していきました。語尾が消えることを意識して聞き取りつつ、テーマの多様さは変わらず、本当に質問に苦労しました。いつも発表会に付き合っていただいた支社長から「頑張ってよく質問されますね」との言葉も励みになりました。

-奨学生の発表中にケータイをもって消える教授

スクリーンに映し出される資料を頼りに、一生懸命質問していると、向かい側に座っているベトナム大学の教授(写真1では前列右端)が、ケータイをもって外に消えていきます。「何か急用なのかしら」と、目の端で追いかけますが、特にこちらに対して断りもありません。そのうち戻ってくると思っていますが、お昼休みになってしまいます。

ベトナムの女性のスーツは、民族衣装のアオザイと同様に細い体にフィットしていて、もちろんポケットなどついていません。くだんの女性教授も同様です。なのに持っているのは鞄はもちろん資料などもなく、ケータイのみです(その後、中国でも女性男性を問わず、ケータイのみで行動されているのを目にしました)。
昼食はどうするのかと思っていると、消えていた教授が戻ってきて、「昼食に連れて行く」とのことです。
 が、大学を出て、車が走っている道路を私の手をつかんで、「絶対止まっちゃダメ」と言いつつどんどん渡っていきます。怖いのなんの。道路は絶対歩いて渡ってはダメと言われて、ホテルから歩けば5分のベトナムのソフト子会社にもわざわざ車でグルーっと回って10分かけて行っていたほどの安全性が危ぶまれる道路横断です。しかし、帰りも往きと同様にぐいぐい引っ張られて道路を横断しました。これに比べたら、発表会の質問などなんのそのですね。

-奨学生フォローアップによる人脈作り

奨学金を進呈したら、東芝に就職するというそんな簡単なものではありません。筆者のもう一つのミッションが人脈作りです。奨学生の名簿を作成し、懇親会を呼びかけました。写真2はその懇親会で奨学生と修了生に対して、挨拶しているのが筆者です。「東芝の名前を憶えていてください。もし興味があれば一緒に仕事をしましょう。」と呼びかけた記憶があります。
ベトナムでのビュッフェスタイルパーティは初めてでした。ホテルのビュッフェも朝からフォーもあり豪華でしたが、このビュッフェは、フレンチ、アメリカン、和食、ベトナム料理とたくさんの種類があり、すべての種類を食べることは無理でした。また、懇親会席として確保されていたはずの席に、どうも奨学生や修了生でない人たちが座っているのです。日本では、仕切りがあったら、そこに別の客が入ってくることはないと思っていました。まさかこのような状況になると思わず、一人一人に名札を付けてもらっていませんでした。いつの間にか混載席となり、一人一人の奨学生や修了生に声掛けをするのが難しくなりました。
参加いただいた教授陣とのお話では、子弟を欧米に留学させるということで、残念ながら、日本は視野に入っていないようでした。

写真2 ベトナム国家大学ホーチミン校奨学生と修了生との懇親会であいさつする筆者
(2012年9月)
筆者は前列中央左、黄色が東芝、他がベトナム大学の教授と奨学生

日本で働く、日本の会社で働いていただくには、相手の国の文化を知り、かつ日本という国に憧れをもっていただくことの重要性を実感した懇親会でした。4回目の発表会では、何人かの女子学生がアオザイで発表してくださり、敬意を示していただき光栄でした。奨学生から東芝への就職者が出たかどうかはフォローできていませんが、彼ら、彼女らの学業のほんのわずかでも支えになれたかと期待しています。

(2023年12月)


筆者紹介
土井 美和子氏

国立研究開発法人情報通信研究機構 監事(非常勤)
東北大学 理事(非常勤)
奈良先端科学技術大学院大学 理事(非常勤)
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 取締役(社外)
株式会社SUBARU 取締役(社外)
日本特殊陶業株式会社 取締役(社外)

1979年東京大学工学系修士修了。同年東京芝浦電気株式会社(現㈱東芝)総合研究所(現研究開発センター)入社。博士(工学)(東京大学)。以来、東芝にて35年以上にわたり、「ヒューマンインタフェース」を専門分野とし、日本語ワープロ、機械翻訳、電子出版、CG、VR、ジェスチャインタフェース、道案内サービス、ウェアラブルコンピュータ、ネットワークロボットの研究開発に従事。